清龍寺不動院(せいりゅうじ ふどういん)は埼玉県和光市の寺院。
平安時代初期、慈覚大師円仁がこの地に清涼な霊気を感じ、寺院を創建したと伝えられる。
本能寺の変の際、僅かな部下と共に大阪の堺にいた徳川家康がは、明智方に狙われ、あらゆる道を封鎖され、三重県の山中に逃げ込んだ。この危機に瀕した家康公とその一行を救い、三重の白子の浜から自城の岡崎に船で逃してくれたのが、服部半蔵を頭領とする伊賀忍者。恩義を感じた家康公は後に、同じ白子の地名のある、和光市の白子一帯を領地として与えた。この地にあった清龍寺不動院を、伊賀忍者は出城とし て、江戸城の警護に日々出仕していた。 また不動院の法主は家康公より多大な石高を下付され、伊賀忍者の監督を務めるようにな り、徳川家と深く繋がるようになった。
当山には、天下分け目の関が原の戦いで徳川家康公が首にかけ祈願していた家康公御守護神の不動明王の尊像が、家康公の生前の命により二代将軍秀忠公により遷座されて以来390余年の間、その当時のままの状態で護り祀られている。
桂太郎元総理や日露戦争で活躍された乃木将軍が修行されたことでも知られ、「乃木大将修行の瀧」が残る。
開運利益洞窟巡りがあり、パワースポットとして注目されている。
埼玉県和光市白子2丁目15-47