畠山重保(はたけやましげやす)は鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府創設に関わった畠山重忠の子。母は北条時政の娘。
元久2年(1205年)6月22日早朝、北条時政の後妻の娘婿である平賀朝雅との確執から、謀反を企てたという疑いをかけられ、由比ガ浜に呼び出された所を、時政の意を受けた三浦義村によって討たれた。
畠山重保の墓は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮一の鳥居そばにある。高さ約3.5mの宝篋印塔が立っている。
畠山重保は喘息もちだったため、死後「咳の神」となり、願をかけると咳の病気が治してくれると伝えられる。
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目