海南神社(かいなんじんじゃ)は、神奈川県三浦市にある神社。三崎港から市街地を少し山手に入った地点に鎮座する。相模国三浦総鎮守。
藤原資盈(ふじわらのすけみつ)、資盈の后である盈渡姫、及び地主大神を祀る。
清和天皇の治世、皇位継承争いに絡んで讒訴を蒙り左遷された藤原資盈が貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着、当地の長に推戴された。その後資盈は房総の海賊を平定し、また福祉に努めたため地元民から崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。天元5年(982年)になると、現在の地に社殿が建立され、三浦郡の総社となった。
承応2年(1653年)には正一位に列せられ、享保4年(1719年)には三浦半島の総鎮守となった。明治6年(1873年)に郷社となり、明治40年(1907年)に神饌幣帛料共進神社に指定されている。
境内社として、磐鹿六雁命を祭神とする相州海南高家神社、疱瘡の神・源為朝を祭神とする疱瘡神社がある。
神奈川県三浦市三崎4丁目12-11