吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町 (奈良県)吉野町にある神社である。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素となっている。
元々は金剛峯寺の修験道の僧坊・吉水院(きっすいいん)で、明治の神仏分離の際に神社となった。後醍醐天皇を主祭神とし、南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。
寺伝では、白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けてに吉水院に行宮を設けて一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安した。
吉水神社は、源義経と静御前の最後の別れの場所となった物語が有名。義経は、兄の頼朝の追手を逃れて吉野に潜伏し、静御前の悲しい舞を見ながら逃避の生活を送ったと言われている。
吉水神社の「一目千本」と書かれた看板の場所から見える風景は、「一目みると十年寿命が延びる」とも言われるほどすばらしい景色である。秀吉公も大声でまるで子供のようにはしゃいで喜んだと言われている。
とりわけ「北闕門(ほくけつもん)」の邪気祓所が、パワースポットとして人気を集めている。
北闕門は、後醍醐天皇が京都に凱旋する時の門であり、昔から修験者たちの祈りの場であった。ここより大峰山に入山するにあたり無事に下山できるようにと、祈りを捧げた。後醍醐天皇も朝夕必ずこの北闕門に立たれ、京都の空を仰ぎながら九字を切ったと言われ、また楠正行(くすのきまさつら)も出陣にあたり、九字真法の印を切り結んだと伝えられる。
吉水神社の本社手前にある弁慶力釘(べんけいちからくぎ)もパワースポットと言われており、豊臣秀吉もそのパワーにあやかろうとしたという。文治元年(1185年)、兄源頼朝の追手から逃れた源義経と静御前が弁慶と共に吉水神社に忍んだ際、源義経を追手から守ろうとした弁慶が、その親指で二本の釘を石に打ち込んだ伝えられている。
奈良県吉野郡吉野町吉野山