姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった城。
江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、ユネスコの世界遺産や日本国の特別史跡となっている。日本さくら名所100選に選定されている。
姫路城西の丸は、徳川家康の孫娘、千姫ゆかりの場所。その渡櫓の城外側は幅1間の廊下が約240m連なっており「百間廊下」と呼ばれている。城外に向けて石落としや狭間、鉄砲の煙出しの窓も付設されている。城内側は侍女達の部屋がある。
西の丸の化粧櫓は、千姫が忠政の嫡男・忠刻に輿入れする際の化粧料10万石で1618年(元和4年)に建てられたものである。戦前の修理までは、化粧櫓にはその名の通り当時の化粧品の跡が残っていたという。
西方には、千姫が3歳で嫡男を失った後、一家の繁栄を願って建立したといわれる男山千姫天満宮が望める。千姫が朝夕、西の丸長局の廊下から天満宮を遥拝していたとされており、ここからの風景を写真にとって携帯の待ち受けにすると、姫力がアップするという。
姫路城天守閣の最上階には刑部神社(おさかべじんじゃ)が祀られている。姫路城築城以前よりこの地に祀られており、姫路城主であった大名、松平朝矩が幕府の命により前橋城へ移った際、現在の群馬県前橋市にある長壁神社へと移されたが、現在も姫路城のパワースポットと言われている。
播州皿屋敷にまつわる「お菊井戸」というがある。お菊は女スパイだったが正体がバレて皿の紛失を理由にいたぶられ最後は井戸に投げ捨てられた。
城内の上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」は、「播州皿屋敷」に登場する井戸だといわれている。永正年間、城主・小寺則職の執権・青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴いた。しかし、青山一家の謀反は成功し、その後青山家に残っていたお菊は町坪弾四郎に正体を気づかれてしまう。弾四郎はそれを盾に結婚を迫るが拒まれ、腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込んだ。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったという。
その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祀られている。
兵庫県姫路市