鏡ヶ池は熊本県阿蘇郡小国町の池。
この池には12体の鏡が沈められており、その日のわき水の状況により、砂の中に見え隠れしている。もし、12体全て見えると大災害が起きるいわれている。この鏡は本来平安時代のものだったが、現在は当時のものは3枚が残るのみで、現在池にあるものは全てレプリカである。池の前には細川護久が建立した「鏡ヶ池」という碑が立っている。
この鏡ヶ池には次のような平安貴族の恋の物語が伝えられている。醍醐天皇の頃、少納言清原正高と醍醐天皇の孫に当たる小松女院は恋に落ちた。そのことがうわさになり正高卿は豊後国(大分県)へ、小松女院は因幡国(島根県)へ流されてしまった。正高卿を忘れられない小松女院は侍女、従者を従え豊後を訪れたが、正高の行方はわからない。流浪の末、小松女院らは小国町へたどり着いた。そこで古い祠の下に清水のわく泉があり、そこに女性の魂である手鏡を投じて再会できるように祈った。切なる女院の心を思った11人の侍女もこれに従い、鏡を投じ祈った。後日村人たちはこの鏡を見て「鏡ヶ池」と呼ぶようになったという。
女院が小国を離れ玖珠の小田村の三日月滝で一人の木こりに出会い、正高卿の消息を訪ねたところ、すでに正高卿は土地の豪族の娘と結婚しており、子どももいるということがわかった。嘆き悲しんだ小松女院は侍女達11人とともに、三日月滝に身を投じた。そのことを後になって知らされた正高卿は女院達のなきがらをひきあげ手厚く葬ったという。
熊本県阿蘇郡小国町宮原1612