天海僧正の大師号が「慈眼(じげん)」ということから「 慈眼堂 (じげんどう)」とつけられたそうです。
天海僧正は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。家康公の霊廟として日光を選んだのは天海僧正だという。
日光を開いた勝道上人の墓所、開山堂と慈眼堂は一本の線で結ぶことができ、日光の鬼門に位置する開山堂に対し、裏鬼門にあたる。
天海僧正の命日にあたる10月2日には毎年、拝殿で法要・長講会(じょうごえ)が営まれ、天海僧正の好物だった「納豆汁」が供せられる。
現在は一般公開されていない。
栃木県日光市山内2300