瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、滋賀県近江八幡市の八幡山山頂にある、日蓮宗の寺院。門跡寺院。
智(とも)は子供のない弟・豊臣秀吉に長男の秀次を養子として出していたが、1595年(文禄4年)秀次は切腹を命じられ、秀次の妻子も三条河原で処刑、夫の三好吉房も流刑となった。唯一残された智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家、以前から帰依していた日蓮宗による寺院を嵯峨の村雲(現在の二尊院の近く)に開いた。このとき村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号、寺領1000石を与えたのが後陽成天皇であり、このため瑞龍寺は日蓮宗寺院では唯一の門跡寺院となり、別名を村雲御所と称するようになる。以後、代々皇女や公家の娘を貫首として迎えた。江戸時代には嵯峨から西陣(現在の堀川今出川付近)に移転する。その後、1788年(天明8年)天明の大火で全焼し、9世・日尊尼は1824年(文政7年)から28年の歳月を掛けて再建した。1961年(昭和36年)、11世・日浄尼のとき、京都今出川堀川から秀次ゆかりの八幡山城址に移されたが、日浄尼はその完成を見ず遷化。その後、1968年(昭和43年)入山したのが、小笠原氏出身の12世・日英尼である。家庭の不幸から出家に追い込まれた日英尼は、以後の生涯を瑞龍寺の再建に捧げた。その後を嗣いだのが、宝塚歌劇団卒業生であった桜緋紗子こと13世・日凰尼である。日凰尼は2002年(平成14年)3月20日に89歳で遷化するまで瑞龍寺の再建に寄与した。14世・日澄尼までは尼僧であったが、現住15世は男僧の鷲津日英貫首(枚方市最妙寺より晋山)。
滋賀県近江八幡市宮内町19-9