冨田神社は佐賀県伊万里市南波多町府招の神社。
冨田才治が幼児、乳母タケによって養育された由緒がある。冨田才治は、唐津藩平原村の大庄屋で、1771年(明和8年)の虹の松原一揆の首謀者だった。当時の唐津藩主水野忠任が課した農民への増税に対して不満が高まり、農民が立ち上がったものである。
最終的には武力的衝突もなく、一滴の血も流さず、農民は唐津藩に増税を撤回させることに成功した。しかし、面目を潰された藩は以後厳しい取り調べを行ったため、その翌年、指導者であった冨田才治ら4人は見かねて首を差し出すことで合意、西の浜で処刑されることでこの事件を終結させた。
新屋敷村民の悲しみは深く、冨田神社を創建した。社殿奥の御霊舎(みたまや)には、冨田才治の髷(遺髪)が収められている。
宝くじの当たるパワースポットと言われ、当選祈願の小木刀が多く納められている。
本来は拝殿にある手作り小木刀を持ち帰り、祈願が成就した場合それを返納し、その際、御礼として自ら小木刀一本を作り納めるものである。
神社入口すぐにある御神木は「イヤシロチ」と言われ、健康に良く運勢も強くなるという。御神木のそばにはさざれ石もある。
佐賀県伊万里市南波多町府招