興福寺(こうふくじ)は、長崎市寺町にある、日本最古の黄檗宗の寺院である。山号は東明山。山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれる。
1624年(寛永元年)に中国僧の真円により創建された。崇福寺・福済寺とともに長崎三福寺の一つに数えられる。
当時、日本に来る中国人の中にはキリスト教徒がいたため、長崎奉行は唐人の宗教についても調査していた。そこで在留唐人等は、自ら進んでその証明を行い、かつ、海上の安全祈願と故人の冥福を祈るため寺を建てたという。浙江省・江蘇省出身の信徒が多いため、南京寺とも称せられた。
黄檗宗の開祖隠元隆琦ゆかりの寺院で、本堂にあたる大雄宝殿は国の重要文化財に指定されている。
第2代住職の黙子如定は眼鏡橋を架設したことで有名で、第3代の逸然は長崎漢画の祖として知られる。
また、日本三聖堂の一つといわれた中島聖堂遺構大学門(長崎聖堂)があり、学問のパワースポットだという。
儒者・向井元升(げんしょう)が正保4年(1647)に東上町(現在の上町と玉園町)に立山書院として建てた孔子廟と学舎に始まる。長崎聖堂というが、一般には中島聖堂と呼ばれた。明治初年廃滅し、杏檀門(きょうだんもん)と規模縮少した大成殿(たいせいでん)を残すのみとなったので、ともに昭和34年(1959)保存のため現在地に移した。門扉に大学の章句を刻むので、大学門とも呼ばれる。
長崎県長崎市寺町4-32