三ッ峠山(三つ峠)は、山梨県都留市、西桂町、富士河口湖町の境界にある標高1,785mの山である。開運山(1,785m)、御巣鷹山(1,775m)、木無山(1,732m)の3つの頂上の総称であるが、最高峰である開運山を指すこともある。
古くは奈良時代から修験道の霊山として知られた。江戸時代後期、天保3年に善應空胎上人によって開山された信仰の山である。
神鈴峰、仙泉山とも呼ばれる。現在の三つ峠の由来として、山頂付近にわき水があることから水峠と呼ばれ転化したという説、三つの尖峰(トッケ)があることから、ミツトッケと呼ばれ、それに文字あてたという説がある。また、この三つの尖峰は木無山、御巣鷹山、開運山を指すという説や、開運山の三つの尖峰を指すという説にも分かれている。
登山コース上に八十八大師がある。文久年間(1861~1863)に、近郷の信者によって八十八体の石仏が祀られたという。81体が保存され、中央に一塔にまとめた「遍照金剛八十八躰施主現当二世安全」の石碑が建ててある。
そのやや頂上よりにある一字一石供養塔は、経王一字一石供養塔といい、天保6年(1835)空胎上人によって造られたという自然石の文字塔である。小石に一字ずつ経文を書写し、地に埋めて石塔を建てたもの。
山頂付近の屏風岩の手前に、神鈴権現社(みすずごんげんしゃ)がある。江戸時代中期に、その権現様を厚く信仰しているとよ女という美しい年頃の娘がいた。村の若者達が、とよ女の気を引こうと言い寄っても、ただ権現様を信仰し、身持ちの固い彼女は、誰にも心を動かさなかった。恋に狂った若者が、権現様のお祭りに参詣するとよ女を見計らって、草原に火をつけた。火は風を呼びとよ女は焼け死んだ。冬も去り、春になると、とよ女の死んだその場所に、可憐なさくら草が一斉に咲き、彼女の志を惜しんだ人たちは、いつとはなしにその美しさをたたえてクモイコザクラと呼ぶようになったという。
三ツ峠中興の祖・空胎上人の後継者、三世安西和尚によって建てられた達磨石は、大きな自然石に梵字で大日如来を意味するアークという文字が刻まれ、この山が修験密教の世界であることを表している。
その他、三ッ峠四世修善が登山者の安全を祈願して刻んだ石碑「親不和の碑」、不二石(富士石)といわれる巨石、三ツ峠中興の祖・空胎上人の後継者、二世豊恭和尚によって建てられた愛染明王の碑などがある。
山梨県富士吉田市上暮地