船橋荘(ソンギョジャン)は、朝鮮時代の貴族・孝寧大君の11代子孫である李乃蕃(イ・ネボン)により建てられた邸宅。イタチの群れを追いかけて偶然見つけた土地に建てられたという。風水の龍穴ポイントだとも言われる。
建てられた当時に、この前が鏡浦湖だったため、出入のために船を利用しなければならなかったことから、船橋荘の「船」の字がある。李乃蕃の子孫が現在も居住している。
総建坪1,051.24㎡(318坪)で、長いヘンナン(伝統的な屋敷で表門の両側にある、仕える者が居住する部屋)に囲まれた母屋や離れ、東別堂(トンビョルダン)という家族が集まる部屋や祖先を祀る部屋などがそのまま残っている。門の外には数百坪の蓮池の上に造られた活來亭(ファルレジョン)という東屋があり、また庭園までも備えている。
船橋荘は、建物だけでなく朝鮮後期の住居生活や生活用具を研究する際の貴重な資料になっており、離れは「悦話堂(ヨルヮダン)」と呼ばれ李朝建国の歴史を記した「龍飛御天歌」という歌や高麗史など数千冊の本や絵が収められている。
1945年4月18日重要民族資料第5号に指定された。
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