益救神社(やくじんじゃ)は、鹿児島県熊毛郡屋久島町(屋久島)にある神社である。『延喜式神名帳』に記載された神社のうち最も南にある式内社で、旧社格は県社。現在は「やく」と読むが、かつては「ますくひ」「すくひ」と読んだ。旧称須久比ノ宮、一品宝珠大権現。
元々は屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神を祀ったものと考えられ、かつては島内各地に三岳の遥拝所があった。明治維新までは、旧村18ヶ所に村落名を冠した益救神社があったが、現在は宮之浦の当社を除けば原集落にある原益救神社のみとなっている。また、宮之浦岳の山頂には当社の奥社がある。
屋久島では、春秋の彼岸になると、村落ごとに若者を中心とした一団が御岳に登山し、シャクナゲの枝を土産として里に持って帰る「岳参り」という風習がある。島中心部の標高1,800mを越える山岳地帯へ行くには2~3日を要するため、代表者が山へ登った。留守の者達は前岳(自分の村落から見上げる山)まで登って代表の者たちを出迎えるか、詣所(もいしょ)と言う揺拝所に出迎え、そこで神霊ののったシャクナゲの枝を貰い、各家の床の間に飾った。しかし昭和も終わり頃になると、自然保護の観点からシャクナゲを持ち帰ることは廃れていった。
鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦277