七宝瀧寺犬鳴山不動尊は、大阪府泉佐野市の真言宗寺院。様々な伝説の残る犬鳴山にある。
淳和天皇(824〜834)の時、天下大早魃があり、諸国の霊山、神社仏閣に祈雨の祈願を命じられた。犬鳴山住侶が本尊不動明王に祈雨の大法を修したところ、泉州一円は慈雨に恵まれた。そこで淳和天皇が、犬鳴山中にある著名な七瀑を金銀などの七宝に因んで、七宝滝寺と命名した。
ご本尊様は、倶利伽羅大竜不動明王で、「絶対秘仏」として公開されない。護摩焚きでも知られる。
犬鳴山七宝滝寺は、院号を「白雲院」と呼ばれているが、これには乙女の哀しい物語がある。その昔、淡路の小聖という修験者がいて、しばしば御所へ出入りしているうちに、官女の志津女という美人に想われる身となった。小聖は修行の妨げになるからと志津女を振り切って、犬鳴山中に逃れた。志津女は小聖をあきらめきれず、あとを追って諸国を探し求め、遂に泉州犬鳴山に小聖が修行しているのを風のたよりに聞き、修行僧に一目会うべく犬鳴山まで来た。しかし、険しい渓谷の山路と、飢えと寒さ、そして俄にたちこめてきた白雲によって道を見失い、ついに路傍に悶死した。村人は志津女の死体をねんごろに葬った。
こうした事があってから、犬鳴山に白雲が立ちこめる日は必ず雨が降るので、村人は「志津の涙雨」だと言い、また、倒れていた附近からこんこんと涌き出ている清水を「志津の涙水」と呼ぶようになった。
志津女の墓は、本堂下手100mの附近、参道の傍にあり、その下より今も涙水のように、清水がポトポトと涌き出ている。書院はこの時から、白雲院と呼ばれるようになったと伝えられる。また、一心を込めた願い事がある場合、この水を持ち帰り、毎日飲用すると必ずや願い事が成就するといわれる。
プロボクサーの亀田興毅が祈願に訪れたことで話題になった。
大阪府泉佐野市大木8